才能と努力

(1) 血筋がすべての決定要因か

最近の大学生に対する意識調査において、「社会的成功の要因は何か」という設問に対し、最も多かった回答が「血筋」だった。例年、「学歴」が一番だそうだが、「血筋」が一番になったのは初めてのことらしい。

kyoko-np.net

 

この結果は、一体何を意味しているのだろうか?

焦点をあてるべきは、「血筋」が「学歴」を上回ったこと。

つまり、「血筋=先天的なもの」>「学歴=後天的なもの」

 

社会的成功の定義は一旦置いておくが、以上のように、先天的な要因が大きいのであれば、現実社会でいくら努力しても(例えば学歴)成功できないことになる。未来を担う大学生の多くがこんな悲観的な思想を持っていること自体が残念だ。

 

僕は、「血筋」なんか考えない。

 

この世には「変えられること」と「変えられないこと」があって、これをしっかりと見極める必要がある。アドラー心理学でいう「課題の分離」だ。もちろん、「血筋」は後者であって、出生以降変えることは出来ない。そんなこと気にして生きてもおそらく無意味だ。僕は「変えられること」だけ見て、努力をしたい。努力の一つが学歴であって、それは社会的成功と連関している面もあるだろう。

 

(2) 才能と努力

 「血筋」は「才能」と似た概念だ。二つとも生まれながらにして決定される。ここでは、才能の話をしたい。確かに、人によって、生まれながらにして多少なりとも才能の差はあるとは思う。

 

でも僕は、その差は「埋められる」と考えている。

もちろん「努力」でだ。

 

これについては、本田圭佑の動画に詳しい。

youtu.be

 

過去の自分は、到底こんな考えを持てるはずもなかった。都内の進学校の高校で、たくさんの化け物(優秀なやつ)を見てきたからだ。すべてのクラスメイトに才能で劣っていると感じた。あの劣等感は一日たりとも忘れることはない。この話は長くなるから、また稿を改めてしたいと思う。